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| 日産R390GT1ロードカー |
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1995年・96年と、NISMO GT-R LMをベースとしたマシンでル・マン24時間レースへの参戦を行なってきた日産から、翌97年、英国モータースポーツ界の名門・TWRと手を組み開発された1台のクルマ(あえてレーシングマシンと呼ばない)が発表された。その名は「R390GT1ロードカー」。同年のル・マン24時間レースGT1クラス参戦へ向けた、日産の新兵器である。
もともとル・マンのGTカテゴリーは、その名からもわかる通り市販スポーツカーをベースとしたレーシングマシンで争われるレースであった。だから、“NISMO GT-R LM”という特別なマシンではあったが、日産がスカイラインGT-Rをベースとして戦ってきたのもうなずける話だ。ところが、そのGT1クラスに異変が起こったのである。発端は1995年、マクラ−レンF1 GTRの参戦である。クルマ好きなら誰もが1度は聞いたことがあると思うこの「マクラ−レンF1」と言う名前。公道を走るF1という触れ込みは伊達ではなく、F1界の名門コンストラクタ−、マクラーレンと、同じくF1界で数々の名マシン(中には“迷”マシンもあったが……)を生み出したゴードン・マーレイ氏のコラボレートにより生まれたクルマである。カーボンコンポジットによるモノコック成型、627馬力を発生するBMW製の6LV型12気筒エンジン、そして最大の特徴とも言えるセンターコクピットレイアウトなど……。公道へ“デリバリー”された時点ですでに370km/h以上の性能を誇り、1億円以上と謳われたこのマクラーレンF1をベースとして仕上げられたマシン・マクラーレンF1 GTRは、圧倒的な強さで95年のル・マン24時間を制したのだ。
GT1クラスにさらに驚異的なマシンが登場したのは翌96年だ。ポルシェ911GT1の登場である。GTクラスでの根幹となる「市販車をベースとして……」という部分がポルシェ流解釈を受けた結果、製作されたのは「公道を走るCカー」とでも言うべきクルマだったのである。市販車ベース、つまり「GTクラス参加車両は、市販車と同様の基本構造を持たなければならない」という大原則は、「純レーシングマシンをデチューンし、あとから公道を走れるようにあつらえなおせばよい」という解釈へ変わっていったのである。そして911GT1は、当時のル・マントップカテゴリーであるプロトタイプクラスとほぼ同等の速さを見せ、GT1クラスをぶっちぎりで駆け抜けクラス1-2フィニッシュを達成したのである。911GT1レースカーはCカーと言ってしまって過言ではないほどの純レーシングマシンではあったが、エンジンやサスペンションなどの機関系のデチューンや、ロードゴーイングカーとしての当然の装備であるトランクルームなどを備え、世界各国のユーザーへ(もちろん「億」を優に超える金額を用意できればの話だが)デリバリーが行われたのである。
90年代後半のル・マン24時間GT1クラスは、世界の自動車メーカーによる大イベントとなっていた。その熱気ぶりに世界が注目していたし、ル・マンはその伝統あるレースへのチャレンジであるとともに、メーカーにとって格好のプロモーションの舞台でもあった。
そして日産も、ポルシェの手法に倣いル・マン制覇のためにこのR390を生み出したという訳だ。97年、98年とGT1クラスにR390GT1レースカーを送りこんだ日産。ル・マン参戦に伴い、レギュレーションに則った市販型車両を両年とも製作・登録している。このブルーのR390GT1ロードカーは、98年仕様のものだ。97年に製作されたエンジのロードカーと比較しエクステリア/インテリア共に細かなマイナーチェンジが施されている。
一番大きな変更点は、超高速域でのさらなるスタビリティ確保のためにロングテールが採用されたことだ。それに伴い97年モデルでみられた分割式のリアウイングが消滅している。さらに、フロントホイールハウス内に入った走行風を効果的に排出するとともに、フロントエンドでのダウンフォースを発生させるため、サイドシル形状も見直しが図られている。また、ダッシュボードも人間工学に基づいた変更が行われ、機能性と前方視認性が向上している。なお、6速シーケンシャルミッションに、最低350PS以上を発生させるV8ツインターボエンジンといったパワートレインに主に変更は加えられていないが、上記のような変更により、そのポテンシャルを最大限に発揮できるようになっているようだ。
このようにして世に出ることとなったR390GT1ロードカーだが、実際に顧客向けに販売が行われたポルシェ911GT1とは異なり、レギュレーションに則って1台のロードカーを登録しただけで、まとまった数を市販車として販売してはいないようである。現在は日産座間工場跡地にある記念庫に保管されている。
ところでこのR390、その名から連想されるのはもちろん、かつてポルシェ906(もともとは第2回日本グランプリの結果から、904を視野に入れ開発されたものではあったが)ととともに死闘を繰り広げたプリンス製の純レーシングマシン「R380」だろう。40年の時を超え、“復活”したR390だが、実はその背景にもポルシェの影響があった、ということを考えると感慨深い。(日岐真帆) |

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